2005年

ーーー5/3ーーー ブック・ワゴン

 
この写真は、東京のN様からご注文を戴いた品物である。東京での展示会でブック・ワゴンをご覧になったN様が、もっと小さいサイズでということでご注文を下さった。

 写真に見えている側は、小さめの本を入れる下段と、CDなどを置く上段に分かれている。反対側は、中間の棚が無く、大きな辞書や大判の写真集などを入れられるサイズになっている。

 これを居間のソファーの傍らに置き、読みかけの本や辞書、よく聞くCDなどを入れておくとのことだった。そして、コーヒーなどをちょっと置ける高さを希望された。キャスターで移動可能だが、ロックすれば固定もできる。

 家具としては、最小限とも言える単純な構造である。それでいて、市販品には見られないような、手の込んだ「組手」の技法で作られている。材は全て栗のムク板である。

 こういう品物を、自分の好みのサイズで作らせ、日々の生活の中で楽しむ。これがオーダー家具の、一つの醍醐味かも知れない。




ーーー5/10−−− 久々の読書

 
ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」を、ようやく読み終えた。息子に熱心に勧められて読み始めたのが今年の一月。およそ四ヶ月かかって、文庫本で全三巻に及ぶ大作の、最後のページまで辿り着いた。

 若い頃はよく文学作品を読んだものだが、中年に入ってからはめっきり読書の機会が減った。知識や情報を仕入れるための本はときどき手にするものの、純粋文学はとんとご無沙汰であった。

 息子の提案は、私を悩ませた。子供にまだ多少の影響を与えたいと願っている私にとって、息子から知的活動を勧められてそれを拒否するというのも、情けないことではある。しかし、文学書を読もうとするならば、毎日まとまった時間をとり、習慣化させねばならない。そんな時間がどこにあるのかというのが私の言い訳であった。昼は仕事をしているし、夜は酒を飲むから不可能。仕事場は自宅の裏だから、通勤時間を利用して本を読むということもできない。

 そんな話をしていたら、娘が脇から口をはさんだ。「朝早く起きて読めばイイじゃない」と。これは一つの盲点であった。今まで何故それに気づかなかったのだろう。

 晩は早めに就寝して、翌朝早く起きる。この生活のリズムを心地良いと感じる年令に、私もなっているのだ。私が早く寝れば、家族も自由な時間が取れる。酔ったオヤジが夜遅くまでくだを巻くのは、彼等にとって迷惑だったろう。家内も私の話を毎度新鮮に聞けるほど、共に暮らした生活がもはや短くはない。

 かくして、家族が起き出す一時間前に起床し、ストーブに火を入れ、湯を湧かして、おもむろに書物を開くという生活が始まった。ときには興にまかせて、バッハのオルガン曲などを小さな音量で流したりした。ロシア文学を読み、バッハを聞きながら夜明けを迎える。そんな、高尚と言えば嫌味な世界を、一人静かに楽しんだ。

 四月になって娘が高校に通いはじめると、家内の起床が早くなり、私のささやかな習慣は乱れてしまった。そのため、「カラマーゾフの兄弟」のペースもぐっと落ちた。ここまで時間がかかったのには、そんな理由もあった。

 それでも、偉大な文学作品に触れる喜びを久しぶりに味わって、なんだか若返ったような気持ちになった私であった。



ーーー5/17ーーー 信州骨董博

 
「信州骨董博」なるイベントを見に行った。今まで骨董に何の関心も無かった私だが、今回のイベントはエムウェーブを会場に使う大規模なものとの触込みだったので、ちょっと覗いてみる気になったのである。ちなみにエムウェーブというのは、長野市にある巨大な室内競技場で、長野五輪のときにスピードスケート競技会場として建設された。

 会場に入ってみると、全フロアの四分の一程度しか使っていない。前代未聞の規模を期待していたので、これには少々がっかりした。それでも100件ちかいブースの数であったろうか。

 こう言っては失礼だが、骨董店の主人というのは、いずれも怪しい感じである。それに加えて、平日にこのようなイベントへ足を運ぶ客というのも、ちょっと怪しい人種である。第一印象として、とても居心地が良いとは言えない雰囲気であった。

 それでもしばらく歩き回っているうちに、雰囲気に慣れてきた。怪しいと感じた骨董店主たちも、決して悪いとか怖いとかいう人たちではない。こんな古びた品物を集めて並べても、ほとんど商売にはならないだろう。半ば道楽のようにも思われる。それでも続けているというのは、やはりこのような古びた品物に惹かれるからに違いない。人間の価値観のある種の傾向、社会の主流から外れてはいるが根強く存在するある種の傾向、に導かれて営みを続けている人々なのである。人間の多様性の一断面を見せられたような気がした。

 ところで、近年テレビ番組などの影響で、骨董品に対する一般の関心も高くなってきているらしい。このイベントの会場でも、知ったようなことを言う客が、店主とやりとりをする風景が見られた。そんな会話の中で、一人の店主の言葉が印象に残った。

 「いつの時代の物だとか、どれくらいのお値打ちかなどは、関係ないでしょう。要するに、自分の家に持って帰って、どれだけ楽しめるかということじゃないですか・・・」 



ーーー5/24ーーー 家具の修理

 昨年クッション座のCATをお納めしたお宅から、少し座面を低くして欲しいとのリクエストがあった。車で一時間弱の場所にあるそのお宅に出向き、適正な高さを測定した。椅子は加工のために工房に持ち帰ることにした。そんなやりとりをしながら、同じ部屋にあったダイニング・テーブルを見ると、少し高いように思われた。つい先日購入したもので、英国で50年ほど前に作られた中古品とのこと。御夫妻は、「そうなんです。高くて困っています。買って来て気が付いたのですが」と言われた。購入したアンティーク・ショップに、低くできないかと問い合わせたが、答はノーだったとか。

 測定したら、床から甲板の上端まで72センチであった。室内で靴を履く欧米では、この高さは普通かも知れないが、日本では少し高いといえるだろう。私が作るテーブルは、68センチを標準としている。このお宅は、椅子の高さを少し低くするくらいだから、なおのこと高さ72センチのテーブルでは使い難いだろう。

 四本脚のテーブルなら、脚端を切って低くするのは簡単だ。だがウマ型のテーブル(→参考画像)の場合、一般的には難しい。ところが今回のテーブルは、エクステンション・テーブル(甲板が拡張できるテーブル)なので、甲板の裏側の構造体と脚上端との接続が、木ネジを使った仕組みになっている。これなら分解して改造ができるかも知れない。翌日椅子を戻しに来るときに軽トラックで来て、テーブルを工房に運び、改造を試みることにした。

 工房に持って来て木ネジを抜くと、部材はさらに接着剤で接合されていることが判明した。しかし、50年も経っているのだから、打撃を加えれば接着が切れると見た。その方法が上手くいって、分解することができた。あとは脚の部材の丈を4センチつめ、その先端に元どおりの仕口を切り込み、組み立てて完了した。他にホゾの弛んでいるところが二ケ所ほどあったので、ついでに修理しておいた。

 午前中に持って来たテーブルを、午後修理して、夕刻配達した。ご夫妻はたいそう喜ばれた。元のままでは生活に支障があったろうから、その喜びは当然のことだと思われた。

 さて話は変わるが、以前木工の大先輩から、「何処のどのような品物であれ、木工品が目の前で壊れていたり、具合が悪そうだったりしたら、手を加えて直したくなるのが、木工家の気質というものだ」と言われたことがある。

 その人を含む木工家仲間で取材旅行をした折に、白川郷の合掌造りの民宿に泊まったことを思い出す。寝室として割り振られた部屋の襖が、滑りが悪くてギシギシいっていた。その人は「これじゃイカン」と言って、民宿から蝋燭を借りた。それを敷居にこすりつけ、襖の滑りを直した。ついでに他の部屋の襖も点検して修理した。

 蝋燭を借りたときに怪訝そうな顔をした年寄りの亭主は、事の次第を見届けた後、「今まで数多くのお客さんを迎えたが、あなた方のようなお客は初めてだ」と言って頭を下げた。 



ーーー5/31ーーー 工房の電力

 私の工房の低圧電力は、7キロワットで契約していた。低圧電力とは、200ボルトの三相交流で、大型の木工機械の動力に使われる。なぜ7キロワットに設定したのか、それが問題であった。

 工房のもっとも大きい機械のモーターでも、定格出力は3.7キロワットである。全ての機械のモーターを合計すれば10キロワットを超えるが、一人でやっている作業場なので、同時に二つ以上の機械を使うことは無い。例外として、集塵機だけは他の機械と同時に運転する。運転中の切削機械から木くずを吸い取るためである。

 だとすると、集塵機のモーター(2.2キロワット)と、その他の機械の中でもっとも大きいモーターとの合計の電力をまかなえれば良いことになる。その値は5.9キロワットである。というわけで、その値をクリヤーする最低のクラスである7キロワットに決めた。かくして15年間を7キロワットの契約で過ごしてきた。

 月に一度、電力会社から利用明細と請求書が届く。それを見ると、低圧電力に関しては、ほとんどが基本料金で占められている。実際に使った電力にかかる料金など、私の工房の規模では微々たるものなのである。基本料金は、契約電力で決まる。もし7キロワットを一クラス下の5キロワットに変更すれば、年間で24000円の得になる。

 上に述べたように、同時に使う大きなモーターの合計は5.9キロワットとなっている。しかしそれらは定格出力と呼ばれるであり、モーターの最大能力である。実際にはこの数値を下回る出力で運転しているに違いない。その実際の値が5キロワット以下なら、ブレーカーを5キロワットに変更しても大丈夫だろう。

 長年に渡り、この件に関して、もやもやとした気持ちを抱いていた。そして先日ついに、町内の電気工事店に相談をした。いとも簡単な答えが返ってきた。実際にもっとも大きな負荷となる状態で機械を運転し、そのときの電源の電流値を測定して、適正な契約電力を決めれば良いと言うのである。作業員が工房へ来て、その確認は10分で終わった。結果は、5キロワットで良いというものだった。

 ブレーカーを5キロワットのものに付け替えた。契約電力の変更手続きも終わった。それらの費用は、一年以内に元が取れる。その後は、毎年24000円づつ電気代が浮くようになるのだ。有り難いことだが、今まで何故このようなことに気が付かなかったのかと、悔やまれる。  





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